MAIL MAGAZINE Vol.01
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2003年1月15日
塩ビ工業・環境協会 木下清隆
1. 経済の現状
世界の経済は現在重力崩壊の過程にある。重力崩壊とは宇宙物理学用語であるが、星が水素、ヘリウムの燃焼を終えたとき、星の形をエネルギー的に支えることが出来なくなり、星の持つ自らの重みで崩壊していくことである。星は最後には大爆発を起こすことになるが世界経済が完全崩壊することはありえ無い。なぜなら、経済を支えているエネルギーとは民間の消費エネルギーのことであり、このエネルギーが無くなってしまうことは考えられないからである。
先進諸国において、ここまで豊かな社会を築き上げてしまうと、このような社会の経済が毎年大きな成長率で拡大していくことは、もはや不可能であると考えられる。それを唯一可能にするのはバブルという幻想経済が生じた時だけであろう。我国はかつて土地バブルによっていつまでも右肩上がりの経済が続くものと幻想した。先頃、アメリカではITバブルが崩壊した。このようなバブルが潰えたことで、先進諸国の経済は現在、下降線を辿っている。これまでの経済の枠組みを支えていたバブルエネルギー、即ち消費エネルギーが消失し、社会システムも含めたこれらの枠組みを、もはや支えきれなくなっているからである。冒頭に述べた経済の重力崩壊とはこのような意味である。大きく膨らんだ風船が縮むとき表面は一様に小さくなるが、経済を支えている個別企業においては、その大きさが一様に縮小することは有り得ない。中にはこのような状況下にあっても拡大する企業がある。従って、幾つかの企業が経済機構の中からはじき出されることになる。更に行政の仕組みまでがその縮小の対象になっており、これを経済・社会の調整過程とするなら、世界各地は現在、その調整過程にあるはずである。それを手際よく迅速にやるか、世論の合意が得られず遅延するかのケースに分かれるが、日本は現在、後者のケースを辿っているといえよう。
更に、先進国の生産拠点は、東南アジア諸国、中国、冷戦終結以降は旧共産圏へシフトしているが、この生産拠点の移動現象により“資産のレベリング現象”が起きている。隣接する水位の異なる二つの湖で中間の水門を開ければ、水位が同レベルになるような現象である。水の流れほどに急激ではないが徐々に進んでおり、これが世界経済の成長に大きなインパクトを与えている。日本はバブルの後始末が遅々として進まない上に、特に中国との間でこのレベリング現象が起きているため、経済の先行きが一層不透明になっている。
それではこの調整過程はどこで止まるのだろうか。それは消費が定常状態に入ったときに止まると考えられる。これは個人の場合と社会の場合とに分かれる。個人の場合、人は誰でも如何なる立場にあろうとも、将来に何がしかの不安を持って生きている。それが常態である。そのような常態をベースとして行われる消費活動を人の定常消費、或いは定常消費状態と定義しよう。もちろんこれは人により千差万別ではあるが平均としてみたとき、このような常態を仮定できるのではなかろうか。この定常消費状態はどのようにして決定されるのかは大変難しい問題である。考え方としては社会福祉制度、年金制度等社会システム、個人の資産、可処分所得、社会における個人の置かれている立場、個人の将来展望、そして欲しいものの存在等多くの要因の関数として表されると想定される。このように、個人の定常消費状態なる概念は定量化の大変難しい概念である。次に社会の場合とは、政府、自治体等の社会機構による消費のことである。この場合消費とは即ち支出のことであるが、ここでも定常支出といった概念が想定されよう。これは基本的には税収の関数となっているが、個人消費の不足分をこれらの機構が補っている面があり、これの定常支出をどこに設定するかは、これも難しい問題である。いずれにしても、このような概念を導入することにより、国の経済が定常消費状態に入ったとみなされたときに、調整過程は止まることになる。
では現在の日本経済をどのように見るべきなのか。それは、先の“レべリング効果”と、本来マーケットから退出すべき企業の居残りによる“居残り効果”をどのように評価するかが問題としてある。レべリング現象は現在初期段階にあるのか、中期の段階まで進んでいるのか、居残り企業によるマーケットが受けているダメージをどの程度と見積もるのかといった問題である。これらのマイナス効果を政府の公共投資等の支出で補っているのが現状であり、定性的には現在の日本経済は定常消費状態からは、幾分マイナス側に振れていると見られる。
では国の経済が定常状態に入ったとき、その国の経済成長率はどのようになると想定されるのだろうか。残念ながらこれも予測することは困難である。しかし、もし定常消費状態を表す定常消費状態関数が得られれば、この予測は可能となるはずである。即ち、この定常消費状態関数が増加関数であれば、一般的には経済は成長し、減少関数となれば下降することになる。例外的にほぼ一定となればゼロ成長となる。このような定常消費状態関数が得られ、更に意図的にこの関数を変化させることが可能ならば、経済成長に関する問題は政治の問題に帰着されることになる。
従来までは、ここで論議は終わることになるが、現代社会においてはこれに地球全対の環境問題をどのように組み込むかが問われている。この問題をどのように取り扱うべきなのかは大変難しい問題であるが、以下に一つの試論を述べたい。

2. 環境問題
環境問題とは何か。それは“人類の豊かさへの渇仰の代償”といえるものではなかろうか。果てしない欲望と止まるところを知らない消費とによって、経済は拡大し現代社会は誕生した。しかしその代償として自然破壊、環境破壊は進んだ。我々の生活の場である大都会も、居住している街の静かなたたずまいも、素晴らしい郊外の景観も、千年前に視点を移せば全ては自然破壊の産物に過ぎない。環境問題解決の難しさは、経済成長と自然破壊・環境破壊とがトレードオフの関係になっていることである。これをどのように調和させていくべきか、これが人類の抱えている大きな課題である。環境問題は大きく分けて三つに分類されよう。
一つは資源問題である。資源を如何に保存・保持するかの問題である。我々が生存していることそのものが資源の消費をもたらしている。例えば我が国の石油消費量は年間約3億klにもなるが、そのうち約81%は熱源、動力源として使用されている。発電、トラック、飛行機、乗用車等の燃料として消費されているのである。このうち化学産業で使用されるものは18%程度に過ぎない。資源問題の対応策としての廃棄物リサイクルは重要な手段であるが、これが結果的に資源の過剰消費をもたらすとすれば、これは本末転倒である。要するに我々は、我々が生きているだけで、石油資源をこれだけ消費しているということである。
二つ目は環境破壊問題である。我々の社会環境の整備・拡充のために必然的に引き起こされる環境の破壊である。我々の現在の社会環境そのものが環境破壊の産物であることは先に述べたが、現在の環境をこれ以上壊されたくないとの願いは、人としてごく自然な精神の発露でありこれを一つの権利として認めるのも自然な成り行きといえよう。現在これは環境権と呼ばれているが、この権利の行使をどこまで認めるかは難しい問題である。それは環境権の行使が排他権の行使と等しい面があるからである。経済発展のために森林を切り開き、ハイウエイを通し、或いは住宅地に高層マンションを建設するが如きは、許せないとしてこれを排他的に拒否するか、次世代のためにこれらを建設して残すかは大変難しい問題だからである。CO2問題も地球レベルでの環境変動を起こすという意味でこのカテゴリーに入るが、これも対処の仕方によっては経済問題とトレードオフの関係が出てくる。
三番目は安全問題である。豊かな社会を創出するために、高度の産業社会を現出させた反作用として、有害物質問題、環境ホルモン問題等の安全問題は発生したといえよう。この問題の場合、安全レベルを極度に引き上げた場合、社会的コストがそれに伴って上昇していく可能性がある。これまで産業界において使用されていた物質は全て経済原則に基づいて存在していたものである。そこに環境原則とでも云うべき新たな価値観が導入され、既存の物質が排除されて新たな物質が導入される場合、この新物質は当然、経済原則的に見て劣位にあると考えられるからである。その後、新物質が生産工程の合理化によってコストダウンされることは充分予想されることであるが、全てのものが期待通りに推移するわけではないという意味で、社会コストの上昇に繋がる可能性がある。
このような環境に関する三つの問題に対しどのような考え方で対処すべきなのか、それを以下に検討することとしたい。その切り口は最初の資源問題へのアプローチである。人類が大昔から活用してきた資源は、これを大別すると次の三つに分けられる。
・ 消滅型資源……化石燃料、金属等多くの地下資源、etc.
・ 再生型資源……森林、陸上動物、海産物、水、etc.
・ 無限型資源……太陽エネルギー、etc.
である。これらの資源を人類としてどのように利用すべきかは、あらためて説明するまでもないが、再生型資源については、その自然の再生能力を越えて利用してはならない、は当然のことであろう。では、消滅型資源についてはどうであろうか。この資源については出来るだけムダ遣いしないようにする、といった精神条項以外に歯止めの掛けようがないのが現状である。例外的に化石燃料資源については、CO2問題が発生したためこれが歯止めとして利用されようとしていることは良く知られていることである。化石燃料以外の金属資源類は徹底してリサイクルを推進させるとの考え方も有るが、これを強制するとリサイクル工程で化石燃料をムダ遣いする可能性が出てくるため、これは得策ではない。従って、この資源の使用抑制については、経済原則とCO2抑制が何らかの抑制効果をもたらすものと期待するしかない。例えば、ある金属が大量に使用され資源の枯渇が心配されるようになれば、その金属の価格は高騰し代替素材が開発される、或は製造過程で大量の化石燃料を必要とする鉄のような金属の場合は、自ずとCO2抑制の影響を受ける、との考え方である。

3. 経済問題と環境問題の接点
 このような資源の利用に関する制約条件が存在するときに、「その国の経済は果たして、個人・社会を含めた国民の定常消費に見合った生産活動を行うことが出来るか」との問題を設定することができる。この問題設定が経済問題と環境問題を結びつける接点となるのではなかろうか。ここでは、このような問題設定が本問題解決の一つの糸口になるとの前提で話を進めることにする。
いま、国民の定常消費価値と資源制約下での生産価値を比較するとき、もし、後者の方が大きい場合は自然に定常消費に見合った生産に調整されるはずだから、この問題においては常に後者の方が小さい場合、即ち、 
 国民の定常消費価値 > 資源制約下の生産価値
となる場合を考えれば良いことになる。この時、国民はこの問題にどのように対処すべきかが問題として出て来る。考え方は二つある。一つは資源制約下の生産価値に見合ったレベルまで定常消費を落すとの考え方である。この場合の選択肢は更に二つに分かれる。定常消費が経済成長率を常にプラス側に押し上げる力がある場合で、そのレベルダウン後でもなおプラスの成長率を保つことが出来る場合である。この場合は定常消費のレベルを下げることは選択肢としてありうる。しかし、このレベルダウンによってマイナス成長に陥ることが明確な場合は、定常消費のレベルダウンは選択肢として有り得ないことになる。政治としてこのような選択は困難だからである。更に、先進諸国においては、大きな経済成長は不可能であるとの考えを、ここでは前提にしていることから、国民の定常消費を落せば、一般にはマイナス成長に陥る可能性が出てくることになる。従って、定常消費を落すという選択肢は先進諸国においては基本的にあり得ないことになる。
 このような検討結果から、残された手段は国民の定常消費価値に等しい生産価値を資源制約下で作り出すしかない。これは言い換えれば“効率化”の追求である。効率化は、企業だけでなく、企業も含む社会システム全体に求められることである。要するに“社会システムの効率化”が、定常消費価値に見合う資源制約下での生産価値創出の基本要件になるということである。では社会システムの効率化とは一体何か。それは“低コスト社会システムの構築である”といえるのではなかろうか。企業は徹底した効率化を進めることによって、低コスト体質の会社に生まれ変わることが出来るが、これと同様のことが企業も含めた社会全体のシステムにおいても、求められるということである。従って、“環境問題と調和する社会とは低コスト社会である”は経済問題と環境問題解決のための一つの結論と言えるのではなかろうか。このような結論を用いれば、“持続可能な開発”という定義の大変難しい環境問題のスローガンに対しても、次のような新しい定義を与えることが出来よう。
『持続可能な開発とは、低コスト社会を次世代に残すための開発をいう』
資源問題と経済問題とからから、以上のような結論が導かれたが、このような考え方は、環境問題の第二、第三の問題、即ち環境破壊問題と安全性の問題も、適用できるのではなかろうか。即ち、低コスト社会実現の範囲において環境破壊は許される、安全のレベルは設定される、である。
このような低コスト社会の実現は何も環境対策としてだけで必要とされるものではない。それは通商国家としての国際競争力の強化と、更には将来、現在の我国の工業力を次世代世代が維持できなくなった場合の、国家維持コストの低減のためでもある。利益の出ている商売人は、原料の仕入れ、家族のための食料の確保、光熱のふんだんな使用も意のままである。しかし、一度、商品が売れなくなると、食事に事欠き、電気、ガス、水道も止められてしまうのである。このような時代の到来を予測するのはつらいことではあるが、いつまでも我国の国際競争力が持続されると考えることは幻想といえるからである。

4. まとめ
 以上論議してきたことは、定常消費状態を表すことの出来る一つの関数を想定し、この関数と資源制約下での生産とから、経済問題と環境問題の接点を探ろうとしたものである。ここでは現在の経済レベルを大きく変えないことを前提としているが、この前提を堅持する限り、本論で提案しているような低コスト社会が実現したとしても、人類が確実に消滅型資源を食いつぶし、それに伴う環境破壊を推し進めて行くことになる現実は、しっかりと見据えておく必要がある。
以上
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