「有機塩素化合物の名称について思う」 |
塩ビ工業・環境協会 柳 良夫 |
1)モノマーか?ポリマーか?
すこし前のことですが、塩化ビニルモノマーが塩化ビニル樹脂(ポリ塩化ビニル)と混同され、塩化ビニル樹脂や製品があたかも発ガン性を持ってるかのように報じられ、困惑され、憤りを感じられた方も多いと思います。
合成樹脂(プラスチック)は高分子化合物の一種で、低分子化合物(モノマー)が多数繰り返し繋がった重合物(ポリマー)であり、モノマーとポリマーが全く異なる物質であることを説明しないと、多くの読者に誤った情報を流すことになります。特に塩化ビニル樹脂は、汎用樹脂の中で最も長い歴史をもつ素材であり、例えば「ポリエチレン、ポリプロピレン、塩化ビニル、ポリスチレンなどの汎用樹脂は、………」のように塩ビ樹脂だけは重合物であることを示す“ポリ”をつけずに記述されることが多く、誤解されやすい事情があります。
塩化ビニル樹脂の原料であるモノマーは常温、常圧では気体(沸点−14℃)であり、重合物である樹脂は固体であり、この2つは全く別の物質です。原料は塩化ビニルモノマー(vinyl chloride VCM)のようにモノマーを、重合物はポリ塩化ビニル(poly vinyl chloride PVC)、塩ビ樹脂のようにポリ、樹脂をそれぞれきちんと記述し、区別する必要があります。情報発信されるメデイアの方はこの点を理解され、それがはっきり読者に伝わるよう明記していただきたいし、私共、業界に身をおく者も、わかりきった事と端折らず、その都度説明をする努力が必要です。
2)塩化か?クロロか?塩素化か?
官能基が水素と置き換わる事で多様な有機化合物群が形づくられます。特に水素が塩素と置き換わり、C−Cl結合を有する化合物を有機塩素化合物と呼んでいますが、この化合物群に対する命名の考え方は2つに分類されます。
1.置換型命名法
ひとつは有機化合物の“水素が塩素に置き換わった”とする考え方であり、置換型命名法と呼べます。この命名法では、英名は置換される化合物の前に塩素を表すchloroを接頭辞として一塊りで表記され、日本語では「クロロ***」と片仮名で表記されます。(***は化合物名)
「モノクロロメタンmonochloromethane」、「ジクロロメタンdichloromethane」、「ジクロロエタンdichloroethane」、「クロロベンゼンchlorobenzen」のようにメタン、エタン、ベンゼンの塩素置換体として命名され、塩化ビニルモノマーもこの命名法を適用すればクロロエチレンとなります。
塩素置換されているという意味で、「塩素化」という用語を使っている例があります。chlorinatedの訳だと思いますが、塩素化パラフィンとか塩素化塩ビ樹脂といった不特定多数の水素が塩素に置換されたと解釈すべきで、個々の化合物の命名に使うのは用いるのはどうかと思います。
2.付加型命名法
もうひとつは、官能基(有機化合物の水素がとれた残り)に“塩素が付加した”とする考え方で、二官能性の官能基の場合は、結合手同士が再結合して生成した“不飽和化合物に塩素が付加した”とする考え方で付加型命名と呼べます。英名では塩素部分はchlorideで、2つの官能基名は置換命名法のように一塊りではなく切り離して表記され、和名では「塩化***」とされます。(***は官能基名)
「塩化メチル methyl chloride」「塩化メチレン methylen chloride」「二塩化エチレン ethylene dichloride」「塩化フェニル phenyl chloride」のように官能基或いは不飽和化合物への塩素の付加体として命名されます。塩化ビニルモノマーの塩化ビニルという名称もビニル基という官能基と塩素の付加体として命名された付加型命名ということになります。
1.の置換型命名では置換前後の化合物は同族体であり、不飽和化合物が飽和化合物になったり芳香族化合物(ベンゼン)が脂環式化合物(シクロヘキサン類)になったりすることは有り得ません。また2.の付加型命名では「塩化***」の***の部分は化合物ではなく、官能基の名称です。
ところが最近、上で述べた置換型及び付加型命名の考え方に則らずに両方を混同した命名法が散見され、もとの英名は明らかに置換型命名であるのに日本語では付加型命名にしているケースが頻繁に登場し気になります。幾つかの例を以下に挙げます。
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テフロンのモノマーを「ポリ四弗化エチレン」と命名(エチレンに4つも弗素が付加すると炭素は5価となってしまいます。) |
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「テトラフルオロエチレン」と呼ぶべきです。エチレンに弗素が4原子付加したのではなく、水素が4つ弗素に置き換わったのですから。 |
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ダイオキシンの毒性係数の標準異性体である2,3,7,8−TCDD、2,3,7,8−TCDFを「2,3,7,8−四塩化ジベンゾダイオキシン」、「2,3,7,8−四塩化ジベンゾフラン」と命名 |
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「2,3,7,8−テトラクロロジベンゾダイオキシン」、「2,3,7,8−テトラクロロジベンゾフラン」と置換型命名で呼ぶべきです。ジベンゾダイオキシンの2,3,7,8位の水素が塩素と置換したのであり、芳香環に塩素が付加したのではないのですから。 |
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PCBを「ポリ塩化ビフェニル」と命名 |
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「ポリクロロビフェニル」と置換型で呼ぶべきです。ビフェニル(これは官能基名ではなく、れっきとした化合物名)の水素の多くが塩素と置き換わったのであり、ビフェニルの芳香環に塩素が付加したのではないのですから。英名ではbiphenyl polychlorideではなく、polychlorobiphenyl (或いはpolychlorinated biphenylこの場合polychlorinatedは形容詞的に使われている)となっているはずです。 |
今月のコラムは何だか重箱の隅をつっつくような面白くない話題だったかもしれませんが、「2,3,7,8−四塩化ジベンゾダイオキシン」や「ポリ塩化ビフェニル」といったおかしな名称が市民権を得つつあるのをみていると、化学の先生方は何もおっしゃらないのかな?今の大学ではそんなこと余りやかましく言わなくなったのかな?と思い、こうした命名法を厳しくいわれた先生を懐かしく思う世代として、ひとこと言いたくなったというわけです。そう言えば、この「ポリ塩化ビフェニル」なる名称、「ポリ塩化ビニル」と酷似しており、一般消費者からみれば同じにみえることでしょう。有用素材の塩ビ樹脂と有害物質のPCBとが混同されては大変と、ついあらぬ心配をしてしまいます。そうした心配の種をなくすためにも正しい命名法に則って、PCBの和名は「ポリ塩化ビフェニル」ではなく「ポリクロロビフェニル」を使ってほしいものです。
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