◇マッチだけでなくポンプも使い出した(?)マスメディア |
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日経新聞のコラム「常識を疑う」の連載に想う |
テレビや新聞、週刊誌などのいわゆるマスメディアに対して私たちは、失礼ながら根強い不信感を抱いてきました。
マスメディアには、社会の中の不正やリスクをいち早く見つけ、それをすばやく報道して社会に警鐘を鳴らす使命があります。これは重々分かりますが、一方、メディア自体もビジネスであり、視聴者や読者に見てもらい、読んでもらわないと成り立ちません。こういったことから、マスメディアは不正やリスクに警鐘を鳴らすことは良くやるけれども、いろいろ調査し研究した結果、そのリスクが過大評価だった、そう大きなリスクではなかった、ということが分かった場合にその事実を報道することには極端に消極的なように見受けられるのです。
ダイオキシンや環境ホルモンの問題にかかる「風評」で手痛い被害をこうむった私たちとしては、「マッチだけでポンプのないマスメディア」と皮肉りたくもなるのです。
ところが最近、1ヶ月に渡って日経新聞の毎週月曜日に連載された、「常識を疑う」というコラムは、こういったマスメディアの常識を変えた、斬新な企画に思えます。
新年から4回連載されたこのコラム、第1回目の話題は「水素社会は当分来ない」というもの。第2回「リサイクル資源のムダ」、第3回「後天的な性質も遺伝する」、第4回「大学特許が革新を妨げる」、と続きました。そこではそれぞれの専門家の意見として、「水素が温暖化防止の決め手というのは期待しすぎ」であり、「経済的に成り立たないリサイクルは社会的にも意味がない」、「生物が環境からの影響や訓練によって獲得した形質も子孫に遺伝する」、「基礎的な研究成果を特許化することでかえって技術革新が進みにくくなる」、・・・といった、従来の常識に真っ向から反論する主張が繰り広げられているのです。そして読んでみると、なるほどそうか、と目からウロコが落ちるような話ばかり。
現代の複雑な社会の中では、真実を究明することが大変困難である事象も多い。然し、ある時点での定説が社会に流れ、その説が信じ込まれてしまう。そのため、不必要な対策をとったり、お金や労力を無駄遣いしたりする。
そういった現象が多い中、常識を疑ってかかることも必要だ、と教えてくれるこの連載企画はなかなかのものだ、と評価する気になりました。
そういえば、この連載で取り上げられそうな話題はいろいろありますね。ダイオキシン問題、環境ホルモン問題、酸性雨問題、地球温暖化問題、・・・。ひょっとして、BSE問題、鳥インフルエンザ問題、エイズ問題、これはないか。その気になれば連載はかなり長期化しそうだぞ、と思ったりもしたのですが・・・。
誤った、あるいは不確実な定説が社会に流された場合、受け取る市民側としては、その定説の正しさ、限界、影響の大きさなどをいろいろな角度から検証する試みを続けるべきですし、むやみに過激な対策に走らないことが肝要だと考えます。そういった意味で、マスメディア側にも、幅広いデータや見解を公平に報道する努力を求めたいところです。今回の連載企画に敬意を表するとともに、是非シリーズものとして企画を継続して欲しいと思いました。
「珍しくマッチだけでなく、ポンプも使い出したマスメディア」と評したら、ちょっと誉めすぎかな。 |
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