少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。昨年は記録的な台風や中越での大地震、それに年末にはスマトラ沖の大津波と悲しい出来事が続きました。被害を受けられた方々には心からのお悔やみと私たちにできる支援をしてまいりたいと思いますが、新年が皆さまにとりまして良い年になりますようお祈りいたします。
塩ビ工業・環境協会といたしましては、これまで以上に塩ビ樹脂の良さを広く知っていただくため、安全性、環境への影響、リサイクル事業の展開などの情報を広くお知らせしてまいりたいと考えております。欧米、アジアでの塩ビ樹脂需要の伸びは引き続き堅調に続いていますので、私たちの努力も日本のユーザー、消費者の皆様にも十分ご理解いただけると確信しております。また昨年11月には小池環境大臣にもご参加いただき、「住まいと環境・エネルギーセミナー」を開催させていただきましたが、塩ビ樹脂サッシと複層ガラスの組み合わせは住宅やビルの断熱・省エネ化に大変効果があり民生部門の地球温暖化対策に大変有効であるため、政府の助成措置のご支援もいただきながら普及に努めてまいります。これまで以上に色々な形での情報交換、意見交換の機会も作ってまいりたいと考えておりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
例年どおり新年早々いくつかの賀詞交歓会に参加させていただきました。各業界も企業業績が改善していることから表情はだいぶ明るくなっていますが、どうも内輪だけの会、業界内の関係者が年賀の挨拶をするにとどまっている会が多く見受けられました。折角各団体、企業のトップが一堂に会する場ですので、サプライチェーンの連携の重要性や昨今のグローバル化の進展も考えますと、主催団体に所属していなくとも関連業種の賀詞交歓会に積極的に参加し、もっと絆を強めることを考えてもよいのではないかと感じました。
さて、前置きが長くなりましたが、今年は一体どんな年になるのかを考える上で、今日の原点を探ろうと、少し昔を振り返って見たいと思います。
150年前の1855年はまだ日本では旧暦が使われていた時代ですが、安政2年に当たります。前年2月にペリーの黒船が2回目の来航をして日米和親条約を締結していましたから、幕府も各藩も西洋から武器や技術を必死で導入しようとしている真最中です。幕府は旗本に洋式銃陣の修業を命じ、オランダから汽船をもらって(後の観光丸)長崎で第1次の海軍伝習を開始しています。一方諸藩では薩摩藩が外輪蒸気船を建造(全長16m、15馬力の蒸気機関)したり、そうした状況からでしょうが磐城国では石炭を乾溜してコールタールを採取して船の防蝕塗料へと江戸に送ったりということが起こっています。諸方物いりのため、幕府が考えたのは大阪では町奉行が市中に上納金納入を命じ、東海道の各駅では人馬賃金を5割増額するということが起こっています。福澤諭吉はこの年の4月に大阪の適塾に入門、蘭学がまだ盛んで桂川甫周編の蘭和辞書の刊行が始まっていますが(福澤など適塾の門弟はこの筆写が生計の足しになった)、井伊直弼が大老に就任するのはまだ3年後のことです。水戸の勢力が強く徳川斉昭の発言力が強かった頃ですが、11月11日に江戸で大地震が起こり、余震80回、建物の倒壊1万4千戸、死者7000人を超した安政大地震です。水戸藩の藤田東湖が小石川藩邸にて地震で亡くなっています。海外ではクリミア戦争の最中、リビングストンはアフリカ探検の途中この年11月にビクトリア湖に到達、イギリスのベッセマーがベッセマー製鋼法を開発しています。
100年前は1905年、明治38年で日露戦争の最中で1月1日に旅順のロシア軍が降伏、3月の奉天会戦、5月27日の日本海海戦に向け進んでいき、9月5日にポーツマスで日露講和条約にようやくたどり着くことができました。しかし国内では同日に日比谷焼打ち事件、翌日から講和反対集会が各地に広がり神戸、横浜でも焼打ちが行われることになりました。しかし戦争終結までの過程では戦費調達のため繰り返し国債を発行し、ロンドンやニューヨークで公債を発行するとともに、非常特別税法改正を行い、地租以下の増徴、通行税、繊維消費税、米及び籾輸入法などを新設し政府は税収増加に努めています。鉱山関係の開発が進み、古河鉱業、久原鉱業(後の日本鉱業)が設立されたのもこの年で、8月に設立された小林製鋼所を鈴木商店が買収・改称して9月1日に神戸製鋼所が設立されています。夏目漱石が「吾輩は猫である」、正岡子規が「仰臥漫録」をそれぞれホトトギスに掲載したのもこの年の1月からでした。この頃の結核による死亡者数は年間6万6千人、赤痢が流行し毎年のように2万人以上が亡くなる衛生状態でした。日本の人口は4662万人です。国際的には8月に東京で中国革命同盟会が孫文らにより結成、アインシュタインが特殊相対性理論を発表しています。
50年前の1955年、昭和30年は、自由・民主両党が11月に合同し保守合同が成るとともに、10月に社会党統一大会が開かれ、正に55年体制が出来上がった年です。トヨペットクラウンが発表されたのもこの年の1月ですがエンジンは48馬力、通産省は6月に合成樹脂工業育成5カ年計画を決定(15万2千トンを目標)、7月には石油化学工業育成対策(5カ年計画)を発表し、8月に内閣が四日市、徳山、岩国の旧海軍燃料廠を昭和石油、出光興産、日本鉱業、三井石油化学に払い下げることを了解しましたし、住友化学がICIから高圧ポリエチレン製造技術の導入がありましたし、東京通信工業(後のソニー)が初の携帯型トランジスタラジオを発売、学術会議は南極学術探検隊の派遣を決定(実際の派遣、昭和基地建設は翌年)していますが、この年のGNPはまだ8兆4千万円、人口は8928万人です。桐朋学園音楽短期大学開校(61年に4年制へ)、棟方志功がサンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に入賞、石原慎太郎の「太陽の季節」、海外ではエリア・カザン監督とジェームス・ディーンの「エデンの東」がこの年。政治の世界では前年に憲法を採択した中華人民共和国は全国代表大会を開き第一次5ヵ年計画を決定、ソ連・東欧8カ国はワルシャワ条約を結び、東西冷戦が本格化した年でもありました。
現在の我々はこうした国内の55年体制、国際的な冷戦構造が見事に崩壊したところにいます。現在問題になっている自衛隊の海外派遣(自衛隊設置法は1954年)、金融再生、大学改革(専門学校令により早慶など22私立大学が1904年に認可)など日本社会が直面している大きな課題の多くは、その基本的な枠組みが50年、100年の単位で創られ、変化の時期に来ているのが分かります。あるいは100年前の社会状況や技術水準を考えると、その後に起こった変化が想像以上に大きかったことも理解できるでしょう。私たちの先人はこうした厳しい状況にもひるむことなく果敢に挑戦し現在の基礎を築き上げてくれました。そうした気風は現代の日本の中よりもむしろアジアの新興国の中に脈々と流れているようにも昨今は強く感じられますが、私たちは間違いなく先人たちから立派なDNAを受け継いでいることを改めて認識することにより、新たな年の挑戦には自らの努力で立ち向かう勇気が湧いてくるような気がします。皆様それぞれの発展と繁栄に向け、大いにチャレンジする年にしようではありませんか。
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